恩師と年賀状

卒業してからずっと、年賀状を送り続けた先生がいた。15歳で卒業したから、かれこれ10年以上。

中学2、3年の担任の先生。ひょろりと細長くて、猫背で、丸めがねで、生徒からは呼び捨てで、理科の授業は雑談ばっかで、寝転んでる骸骨の絵を描くのが上手い、変な先生だった。

生徒から先生への年賀状は、こちらから送るのを止めれば、多分そこで終わりになる。そのくらいあっけないものを、私は続けていた。一年に一通の手紙のやりとりは、自分の成長を見守ってくれる人がいるという嬉しさでもあったと思う。

先生からは毎年、1月15日前後にのんびり返事が届く。ひょろりとしたいつもの読みにくい文字で、いつもの話し口調で書いてある言葉を、私は心待ちにしていた。

大学合格を報告したときは、「あの9時に寝る子が大学か〜」と書いてあって、今でも先生の中では私は中学生のままかなぁと笑った。

就職したときは、「肩の力抜いてけよ〜」

転職したときは、「人生は寄り道だからな〜。楽しめ〜」

そして、結婚が決まったとき、年賀状だけじゃなくて、もう一度先生に会いに行こうと思った。

「次の春に会いに行っていいですか?」と年賀状を書こうと決めた矢先、年末に届いたのは、喪中はがきだった。

タイミングなんて考えずに、会いに行けばよかった。

取り留めもなく、後悔と寂しさと先生からもらった言葉たちが湧いてきて、喪中はがきを持ったまま、泣いた。

ねぇ、先生。
私、大人になったよ。
泣き虫は今でも変わらないけど。
きっとこれからも、寄り道ばっかだよ。
それでも、そうかぁ〜って先生に笑ってほしかったなぁ。


先生は、私に等身大で関わってくれた初めての大人だった。

中学の頃は、よく保健室に行って、早退していた。いじめられてた訳じゃないけど、なんとなく馴染めなくて、学校が好きではなかった。

合唱コンクールの練習中、なにかのきっかけで、クラスの女子が担任の悪口で盛り上がっていた。その雰囲気にいたたまれなくて、私は教室を抜け出した。

心配した先生が様子を見に来てくれて、私は確か、泣きながらこんな風に話した。

「クラスの女子が、先生を嫌いと言ってるのが辛いです。私は先生のこと好きなのに…」

「そうかぁ〜。ま、でも本人がいないところで言ってるんだから、いんじゃねか?笑」

と言われ、その瞬間の恥ずかしさは今でも鮮明に覚えてる。悪口を告げ口するなんて、最悪だ…!って。

でも、続いた言葉は

「気付かなくてごめんなぁ。ありがとな」

先生がなんで謝っているのかも、ありがとうと言ってくれたのかもわからなくて、やっぱり泣いた。笑

先生は、柳のように、ふわりと生きている人だった。

自分を守るために"優等生"でいようとガチガチだった私に、肩の力を抜くことや、それもいいかと諦めること、適度に適当であることを教えてくれた大人。

通学に1時間以上かかる遠くの高校に合格したときも、周りの大人たちが褒めてくれるなか、先生だけは「なんでそこかなぁ。通学大変だぞ〜。近い方が楽でいいぞ〜」って笑ってたし、卒業アルバムのクラス集合写真はジャージで床座りしてるし、俺は先生にしかなれなかったから先生になったんだとか平気で言うし。

全然、"先生"っぽくなかった先生。

こうあるべきと思い込んでたいろんな枠を、そうじゃなくてもいんだぞーって、向こう側を見せてくれた人。

もう、年賀状は返ってこないけど。
これからも寄り道いっぱいして、歩いていきます。

なんでもない日にいらっしゃい

好きなこと、大切なことの記録

0コメント

  • 1000 / 1000